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  『扇風機』


 うちには扇風機がある………

 四畳半、フロ無し、トイレ共同。駅から早歩きで約十分。築五十年、木造二階建て
の二階角部屋。家賃三万三千円。
 大地震がくれば一瞬で崩れ落ちそうな家ではあるが、僕はそれほど気にしてはいな
い。学生とバイトを両立している僕は、一日の中で家にいる時間の方が少ないわけだ
し、どこにいたって死ぬときは死ぬのだから。
 この家の唯一のいいところは、なんといっても銭湯が近いところだ。家の前の小道
を、駅とは反対方向に少し行ったところにがある。今のこの時代、まだこんな銭湯が
残されていたのかと感心してしまうくらいの古さ。だが情緒があって、僕は好きだ。
 この春から東京に住むことになり、右も左も分からぬまま決めたのがこの家だった。
本当は学生寮もあったのだが、なんとなく気がひけてやめてしまった。
 元々僕は人付き合いが得意な方ではないし、集団行動も苦手なので、いろいろ縛ら
れそうな寮より一人暮しの方が楽だと思ったのだ。もちろん寮にすればご飯は食べさ
せてもらえるし、お風呂もタダで入れた。がんばれば友達もすぐに作れたと思うが…
別に後悔はしていない。
  ただ一番の失敗…というか誤算は、家具が何もないということだろうか。
 親は前から東京に行くことを反対していて、僕は高校生の頃からバイトをして、自
分で東京行きの費用を稼いでいた。なんとか説得して、大学の費用は出してもらえた
ものの、一人暮しの為のお金は全部自分のお金を使うことになった。寮にすればかか
らなかったはずの敷金やら礼金がかさみ、結局家具は何一つ買うことができなかった
のだ。
 あるのは、布団。薬缶。そして数冊の漫画本だけ。先が思いやられるような装備で
はあるが、それでも何とかやっていけると思っていた。なんといっても憧れの東京暮
らしなのだから。

 あれから四ヶ月、大学は夏休みに入った。
 大学の夏休みは高校と違い長い。うちの大学は七月中旬、八月、九月と休みがある。
こんなに休みにする意味が分からなかったが、まあ学校がないと気楽でいい。
 でもまだ本当に仲良くなった友達なんていないので、しばらく寂しいフリーターと
しての生活が続いた。夏休みが明けた頃に多少の家具が揃ってることを期待しながら。
 …しかし甘かった。東京の暑さをなめていた。長野から出てきた僕にとって、東京
の暑さは少し異様なものであった。息をするのも苦しいくらい蒸し暑さに、サウナか
よ!と一人虚しくツッコミ、温暖化現象に嘆きつつ、少しでも涼しい場所を求め僕は
さまよう。しかし歩けば歩くほど汗が出る。僕は民家や電柱の影から影を渡り歩いた、
まるで忍者のように。少しでもひなたにいると溶けてしまいそうだった。そして辿り
ついた先は・・・例の銭湯だった。
 昼間にここへ来たのは初めてである。どうやら営業はしているようだが、あまり人
の気配はない。時より吹く強い風によって店の暖簾がヒラヒラと揺れている。
 その時は僕は思い出した。銭湯の、僕の背ほどもある大きな扇風機のことを。
 もう何十年も使っているであろうそれは、湯船に入りすぎてのぼせた体を心地よく
冷ましてくれるみんなの人気者である。
 なんとかあの扇風機にあたりたい!!そう思ってはみたが、そこまで入っていくに
はお金が必要だ。そのついでに銭湯に入っていくことも考えたが、またすぐに汗をか
いて夜もう一度来る羽目になってしまう。やはり他に涼める場所を探した方がよさそ
うだ。僕は再び忍者のように、次の影を狙い定めてた。しかしその時……予想だにし
ない光景が目の前で繰り広げられたのだった。
 たった今想像していたその巨大扇風機が、暖簾をくぐり、店の外に運び出されてい
るではないか!
 僕は思わず声を出してしまった。そして状況を把握しようと試みた。が、その間に
扇風機は僕の方へと近づいてきていた。
 戸惑っていると、「ちょっといいかい」と声が聞こえた。それは扇風機を運んでき
た銭湯のおじさんの声。巨大扇風機を地に下ろし、息を切らした二人のおじさんが僕
を、いや、僕の後ろにあるトラックを眺めていた。僕はハッとして、すぐ後ろにある
トラックを見る。なるほど、どうやらこのトラックで扇風機を運び出すらしい。
「え、これどうするんですか?」思わず声に出して聞いてしまった。
「ああ、捨てるんだよ。もう古いからね。」その言葉がとても切なかった。
 僕が退くと、おじさん達は重そうに扇風機をトラックの荷台に積んだ。そして一言
二言言葉を交わすと、一人が運転席へと入っていく。
 僕は……言ってしまった。
「この扇風機、戴けませんか?」

 うちには扇風機がある。
 4畳半の部屋にはとても似つかわしくない巨大な扇風機だ。部屋の三分の一は占領
されているかもしれない。だけど僕はとても気に入っている。
 新しい居場所を見つけた扇風機は、今日も元気に回っている。

 おわり